人間 の 煩悩

 

仏教や自分が外から受ける言葉や様々な意味が苦しみや煩悩に繋がる

私は仏教徒では無く無神論者なのですが神道よろしく「神様」や「ご先祖様」は信じています。何故なら中学生くらいの時に信号待ちをしている時に突然!、襟首を引っ張られ、(他の人では無い。) 自動車にひかれる寸前に助けられたという記憶が鮮明に有るからです。


人間は産まれて、様々な世代毎に感じてしまう悩みや感情がありますが、仏教では人間の苦しみは、「老い・病・死・生れる生き続ける意味」が4つが人間の苦しみだと説くそうです。しかしながら、日本では毎年毎にその年の終わりにお寺の鐘を108回ほど突いて、人間の煩悩を消し去り、新しい年を迎える恒例の行事があります。


つまり、日本では 、お寺の鐘を108回ほど突いく= 108 ある人の煩悩を お寺の鐘を 突いて、払い清め (除夜の鐘)新年を迎える習慣があるのです。


煩悩 とは、仏教のコトバです。つまり・・お釈迦さま(ブッタ)が述べたとされるコトバです・・・ 妄念 や欲望と同じような意味として使われ、煩悩に打ち勝つことで人間はより良い生き方ができると解釈されています。

正直言って、若い内(思春期・青年期)は、尖っている方がカッコイイと感じた時代なので、世代毎に感じてしまう悩みや感情はさておき、 煩悩 は溢れるほどありましたが、50歳を過ぎたころから消えたような気がします。端的に言ってしまえば、欲望とか欲求や妄執よりも安心できる暮らし方の方が大事になったようです。


人間でいる限りは煩悩に勝つのは不可能です。仏教では、煩悩に打ち勝つことは不可能だと考えられていますが、自身の心を制して、感情や気分をコントロールすることが出来れば、煩悩に負けることはなくなると示されています。何故なら、人間の苦しみや 煩悩 は心の在り方に左右されるからです。そこを理解して欲や煩悩に対して負けない対処をすることが仏教では最も大切だとされています。欲は無理に抑えることは間違いです。 欲を 違うカタチで叶える(気持ちを満足させる)ことが大切です。


仏教では煩悩を抱えたままで人が幸せになることを「煩悩即菩提」(ぼんのうそくぼだい)と言います。つまり・・「幸せになりたい」という煩悩があってこそ、人は幸せになれるという考え方です。 煩悩を無闇に否定するのではなく、正しく制御する気持ちが本当の「煩悩に打ち勝つ」方法です。

人間の苦しみと煩悩(欲望)の違いとは・・

文頭にも書きましたが・・人間の苦しみは、「老い・病・死・生れる生き続ける意味」の4つが人間の苦しむ「エレメント」だそうです。確かに私は中学生から高校生の頃にかけては「生まれた意味」や「人生の意味」などで悩み苦しみ、老いることで 「病 」を患い 人間としての苦しみ を味わいました。

     

私も中学生から高校生の時期にかけては「人生の意味」や「産まれた意味」について、かなり考え苦しみましたし、老いることで「病」を患い再度 、「人生の意味」や 「人生」そのものについて深く考えました。そして、その答えが当ブログ記事の「普通でいる勇気とは」の「足るを知る」ことでキリを知り、「人生100年時代はピンピンキラリでピンピンコロリがイイ」で人間の生き方を知りました。

私は普通の凡人ですが「キリ」や人間の生き方を知ることで「無理の無い生き方」(見栄の張らない)が出来る様になった気がして。今は毎日が楽な様な気がしているので当ブログで紹介しました。