能力的には情報収集にたけた日本のオッサンです。

私もシニア世代の年齢の高齢者になってしまいましたが、精神は未だに青年です。但し、モラル的には昭和のオッサンです。
夫婦の間に子供がいないので、精神年齢が「幼い」ようです。私は戌年で見えない尻尾は何かあるとグルグルいつも回ってます。
会社経営で忙しい社会人の時は女性陣からは「心が子供」と優しく言われていましたが、要は精神年齢が「ガキ」ということらしいです。
そして妻からは、「歳と健康は大人なのに時間が経っても(心は)子どもネ。」と言われ、大人としての段階に進まない私を生活不適合者のように言っています。

最近の研究で判明したようですが認知症が怖いので当ブログを口実に指先を使っています。

一部、問題があるのです。加齢という現実は物理的な現象なので、必要性を問わず対象者には必ず現れる現象です。私の知能は加齢と比例して伸びている気がしますが、逆に肉体は錆びつき、内蔵が進化する可能性は非常に薄く、ジジイ一直線なのかもしれません。‥テキストリンクを読んで頂くと判るのですが、これは「人」と「加齢」についてのオハナシです。「高齢者の皆さんサントリーのセサミンを服用したら頻尿が無くなりました。

精神は青年で年齢は高齢者で何が悪い?

シニア世代で少々、お金が自由に使えて、見た目はチット若作り?でサラリーマンには見えない‥と云われます。しかし、他人様からの印象がこうなるまでには、かなり働きました。
私の時代には【Economic animal(エコノミックアニマル】というコトバがあり、経済的利潤の追求を最も高い目標として活動する人を批判したコトバなのです。(昭和40年頃、パキスタンのブット外相が日本の経済進出の仕業を現した表現です。)

私は二十歳を越した頃から45歳までは18時間はマジで二十働いていました。 45歳 を超えた頃から時間に少し余裕が出来てフツーのおじさんになりましたが、基本的には今でもチョー真面目くんです。

私は幸運にも人生で目的を持てました。それは父の教えで「何でもイイから一番になれ!」というものですが、目的でも、その為の道のりでもいいのですが、自分に負けずに精一杯、妥協することなく頑張る!‥ことが出来れば、それは自信になるということです。

大した苦労もなく得たお金は結局、バブルです。

「大富豪」の語義については「富裕層」をさすのですが、一般的には非常に大きな富を持つ人のことです。  大きな富を持てる人は非常に「運」が良いか、たまたま、仕事が当たったと捉える方が納得できると思います。但し、 非常に「運」が良い 人を除き、 たまたま、仕事が当たった 人もそれなりの努力を重ねての末に成り上がれた人ですので、半端な人物はいません。これは私が経験した実感です。  明らかに他人より秀でた才能も無く、将来の希望や夢も無く、只々、親御さんの云う通り人生コースを進み、「人並」な暮らし方が出来る人も、これから先の未来に待っているモノは差別的なほどの能力選別でしょう。人が集まる都会の会社はどうしたって、個人を選別し、能力によって給与や待遇に格差が生まれなければ会社の経営は成り立たない状況になり、社会の構造も遅かれ早かれ、そうなるでしょう。

「平成」までは近代通り人間の考え方や常識が通用したのですが、「令和」に元号が変わり、社会のシステムや技術が飛躍的に進化を遂げていることを皆さんは知っていますか?・・たまたま、私はコンピュウータの発展期と共に生きて来たので、多少は業界に友人がいるおかげで詳しいのですが、「量子 コンピュウータ 」も今やおおよそは開発が進み、中にはそのプログラムで事業化が進んでいるプロジェクトだってあるそうです。無論、 量子 コンピュウータ の計算速度は従来 コンピュウータ の1億倍だそうです。つまり、アタマの回転がゆっくりな人は少なからず駆逐されてしまう世の中がせまって来ているようです。

これからの世界に必要で、重要なのは理解力や応用力や仕事のルールの中で、その力を発揮できる冷静さを備えた人ではないでしょうか・・トランプのカードゲームでも平常心を保てる人間が最後まで勝ち残るように、ビジネスで金持ちに成り、たくさんモノを手に入れた人間は「先を冷静に選べる」人達です。但し、ラクして手に入れた富に再現性はありません。つまり、魔法は最後には消えて無くなります。

https://www.uncle-blog.com/?p=12011

当ブログには「普通でいる勇気とは」という記事があります。

このブログ記事を概略すれば、自分の「きり」(器)を知ることで、「足るを知る」ことができます。 「足るを知る」ことができれば無駄な欲望は無くなります。そして、素直に背伸びすることもなく好きなモノを好きと言えるようになるます。「物質的欲望」は「叙情的概念」には及びません。 「足るを知る」ことは普通でいるということです。