~・・・小学生の頃、私の両親は喧嘩ばかりしていて北海道の札幌市から愛知県に引っ越してきました。理由は父の兄が大きな建設会社の取締役だったからです。・・おかげで父は塗装の会社を立上げ、あっと言う間に私は運転手付きのお坊ちゃま君で小学校の送り迎えは当然、自家用高級車でした。

しかし、ゆとりのある暮らしは、父の女遊びと共に崩壊しました。父は何処かのクラブのおねーチャンと一緒に東京に行き、そのまま姿をくらましました。 途端に「あそこの社長がクラブのホステスと行方をくらました。」との噂話が業界を席巻し、下請け企業や関連会社との約束手形の支払いが発生して、会社が回らなくなり、倒産しました。父が消えて半年後には借金の嵐が吹き荒れ、私は母と夜逃げを経験しました。 逃げた先は田んぼの中の平屋の土間がある一軒家の借家です。それから、安心のある生活をおれることは高校を卒業して一人暮らしをするまではありませんでした。


この経験で私が学んだことは「貧乏人には世間は冷たい」ということです。そして、「世間は貧乏や貧乏人を・・どこか蔑む」という風潮があるということです。幸い私は貧乏とは縁が無いようなお坊ちゃま系の顔立ちだったので、他人様は私を普通の「人」の様に接してくれ、私も普通の「人」を演じていました。


おかげさまで、随分と学生時代は女子達からの評判が良く、運動神経もまぁ~まぁ~だったので暗い思いはしませんでしたし、美術系の才能にも恵まれ、その後の職業にも随分と役にも立ちました。しかし、基本的な気質や性格は体験で得た意識が残り、60歳を越したジジイなった今もあまり変わったような気がしません。

ゆとりの暮らしでも60歳を越したジジイなった今も変わらないイメージ画像

今は多少はゆとりのある暮らしが出来るようになったのですが、ともかく奥様は断捨離好きで、余計な家具や洋服は必要無いという人です。もっと端的に云えば直ぐ「捨てる」と言い出し、私が60歳を越したのを期に重いモノはもう必要無いし、持てなくなるから「要らない」と言い出し、捨てる準備を着々としているのです。私は多少は見栄や体裁を考えてしまうのですが、我が奥様には一切の妥協はありません。物欲は云うに及ばず食欲の面で「どうせ、消化してしまうのだから、無駄に豪華で希少で高価なモノは好まず、レストランより食堂を好み、スーパーマーケットでも高い価格の付いたモノはパス!という人です。

ゆとりのある暮らしとは安心のある生活をおれること

私は文頭にも書いた通り、ゆとり=財力と思っていましたが、我が奥様に感化され、必要が無いモノは持たないようになりました。生活という「くらし」を営む上でゆとりとは自由が含まれていなければ本当の心のゆとりは生まれません。

私は横浜市に投資用のマンションと名古屋市に投資用の一戸建て住宅を持っています。そして、このブログもいずれは資産になるハズです。というワケで私は資産家を目論んでいるワケですが、今住んでいるマンションは賃貸です。しかし、家賃を除けば18万円でそこそこの暮らしと貯金が出来る地味イ~・・な生活を愉しんでいます。結婚するまでは想像もしない暮らし方ですが、余計な見栄や常識を捨ててしまうと結構~・・生き易いのがわかりました。やはり、人生には知識と情報と素直さが大事です。

だからぁ~・・未だ若い世代の人達はしっかりした人生の目標と設計図を描いて一生懸命にガンバルことが大事で、・・・それ以外の世代の人達は知識が最終的には笑顔で締めくくる人生には必要だということを理解して下さい。60歳を超えたジジイの私でも未だ、学ぶことは沢山あります。人生を諦めるのは簡単ですが、棺桶に入るまでは「追う人生」の方がカッコイイ生き方だと私は思っています。

ゆとりの暮らしをしたジジイでも「追う人生」の方がカッコイイ生き方のイメージ画像

心にゆとりを生むためには人生自体が自由でなくては・・・

私の考える「ゆとり」とは縛られない自由があるか否かです。殆どの人は会社や仕事に縛られ、世間の常識に縛られ、親類縁者に縛られ、要は社会の視線ですが、それが当たり前だと妄信しています。しかし、思い切って「断捨離」という流行モノに流されてみて下さい。自分が思う以上にスッキリ、清々とした気分が味わえます。いつまでをほったらかしで、ホコリを被った使わないモノを手放すことは飽きスペースを作り、その空いたスペースを埋める為の、次の選択という新しい思考を生みます。・・・そうやって「断捨離」が拡大され、新しい思考が形成されて行きます。

そして、新しい思考は段々とアナタを縛られない自由な思考の出来る人間へと変え始めます。くわえて・・少しづつ余裕を持つことができるようになるかもしれません。しかしながら、あくまでも、ここにに書くことは私の願望でしかありませんし、強制するべき事でもありません。但し、私には「持つ」・「所有する」ということ対して、いささかの反省があります。・・それは青年から大人の男性に成るにつれて成人病を「貫禄」という呼び名で装う肥満気にしなくなるということです。

つまり、「断捨離」の反対は所有欲です。この所有欲が顕著に現れているのが「おじさん」や「おばさん」の肥大化した容姿です。そして、それにもれなく付いて来るのが「成人病」という疾患です。「腰痛」・「膝痛」・「血管疾患」・「心臓疾患」や脳卒中や通風など、どれも欲望の先にお起る防ぎようがある病です。・・・私も身を持って経験したので、これは云い切れます。また、よく見かけることですが、部屋の中に大量のモノ(雑貨など)が有る風景です。 本当によく見かけます。多くのものを持つことで収納しきれないモノや直ぐの手に取れるという理由を付けて仕舞わない風景・・・しかし、よ~~く考えるとホコリだらけです。 細目に掃除や拭き掃除の出来る人ならばよいのですが、1日に1回の掃除機を使った掃除では…まるで埃の中で生活しているようなものです。これでは病気になるのが当たり前です。

 

これは戦中・戦後のモノを持てない時代や「最早、戦後ではない」という時代を生きてきた高年齢層や、そんな親に育てられた中年の家庭によく見かけます。ハッキリ云って汚いカンジと古臭い印象を受けます。

使わなくなったモノを手放す時の思考は買い物をする時に一旦(本当に自分に必要かどうか?)迷う思考に変化し、新たに一旦、考える時間も生まれます。そのせいで余計な買い物が減り、金銭的な余裕が徐々に生まれます。

生活の全てに一旦考える時間が生まれる

考える時間とは自分に本当に必要か否かを推し量る思考です。そうした思考の積み重ねが暮らし方(生活)に、ゆとりという安心感にも似た意識をもたらしてくれます。ついでに上にも書いたように金銭的なゆとりも徐々に生まれ大きくなります。

生まれた金銭的な「ゆとり」はたとえ小さくても投資に回して下さい。それが「塵も積もれば山となる」の様に必ず金銭的な「ゆとり」を大きくし、アナタの暮らしに跳ね返ってきます。これが「足るを知る者は富む」です。

当ブログ記事に「普通でいる勇気とは」という近代心理学者が唱えるコトバを本にした内容と解釈を扱っている記事があります。アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始した個人心理学で、「普通であることを受け入れる」勇気を持つことを提唱しています。私的には、あまり目立たず楽に生きれることを手に入れると解釈していますが、この「普通でいる勇気とは」知り読めば「足るを知る」ことの本当の意味が解ります。

 

所有物が沢山あればある程いいというのは、物欲の肥大化です。

私はミニマリストではありませんし、他人様に云わせれば高級品も幾つか所有しれいますが「渋ちん」であり、「けち」ともいわれます。只、自分の感情に正直なだけです。自分に取って価値を感じ、所有欲を感じたモノは厳選して所有しています。たとえ、それが古くなってもです。

但し、そうなるまでには人並み以上に働き、勉強もしました。そして、基礎知識や情報や経験を重ねました。